ー歴史あるカリスマ的ブランドといえば、PINK HOUSEですよね。ブランド初期のルックは今見ても新鮮です。当時の様子を教えてください。
イズミ(PINK HOUSE 企画):私は入社当時、デザイナー金子功さんと同じお部屋でお仕事させてもらっていたのですが、緊張の毎日でした。すごかったのが、何でも決めるのが早いんですよ。頭の中に全ての答えがあるようで、アシスタントのメモが追いつかないぐらいでした。絵、色、デザイン、仕様も一気に決めるんです。それなのに不思議とショーや展示会で全部が合うんですよ。全てをほとんど1人でやられていましたね。朝は最初に来て夜は最後まで残っているのが金子さんでした。
オガワ(生産):昔のデザイナーってプライベートは謎に包まれていて、天才肌の人が多かったですよね。今ほど娯楽がたくさんあるわけではなかったから、仕事とも思わずひたすらに没頭しているような感じ。
スナサカ(パタンナー):LA–BREAデザイナーのイトウさんと食事しているときも、天井の柄を見ながら「これは使えるな」って言っていたり、常に考えているんだなって。だから仕事が早いっていうのも納得できますよね。
オガワ:納得いかなかったのは、サングラスをかけたままカラーチェックにダメ出しをもらったこと(笑)みんな室内でもずっとサングラスを外さないし、常にスタイルがあってカッコ良かった。不思議な説得力とカリスマ性がありましたね。
ホリウチ(TIARA 企画):先を読む力もすごくて。「売れているからまたこれをやって欲しい」って言われた時、MDと対立しても「私はこれでしかやらない」って言って、それが結局いちばん売れたりするんです。
スナサカ:時代にあった作り方をしていましたよね。洋服が高い時代に今あえて、9,800円のジャケット作ったら面白いんじゃない?って言って、それを実現させて実際すごく売れました。
カサイ(MD):そういう人たちだから、厳しいところもありましたけど、リスペクトがあるので、なんとか耐えられちゃいましたよね。
ー創業当社から受け継がれている手法などは何かありますか?
スナサカ:現在はブランドごとに様々な作り方がありますが、昔はドレーピングといって一枚の平らな生地から立体裁断をしていました。今はCADや3Dなどもあり、データで活用ができるようになり大きく時代は変わりましたが、1つのデザインを具現化するまでのスタンスは当時から変わっていません。
オガワ:デザイナーの天才的な発想と、それを地道に支えるパタンナーとの連携で、この会社には妥協のない物作りが根付いるんですよね。
ホリウチ:デザインを何度提案してもダメだった時もありました。でもTIARAの生みの親であるデザイナー長谷川さんも自分の中でしっかりと答えを持っていて、グイグイ引っ張ってくれる方だったので、私たちも背中を追いかけるような気持ちで必死でやっていましたね。
オガワ:そういう職人魂やプライドは変わらず受け継がれているんだなと思うとホッとします。
コジマ(PINK HOUSE プレス):実は今日私が着ているオーバーオールは先輩のお下がりで1991年6月発売のアイテムなんです。
今でもデザインも生地も古びてないし、ずっと着られるのが、時代を超えて長く愛される理由ですよね。自分自身が入社したきっかけも、PINK HOUSEが好きな母の影響でした。PINK HOUSEはトレンドに捉われないブランドだと感じています。そういった変わらなさはこれからも受け継いでいきたいです。
イド(TIARA パタンナー):昔から変わらない部分を大切にしていきたいですよね。私はTIARAの持つクラシカルな中にあるフェミニンさが好きでファンになりました。その魅力を残していきたいです。先輩方が作り上げてきたラインやシルエットをブランドらしさとして受け継ぎながら、自分にできるパターンで表現していきたいと思っています。
スナサカ:後輩にそう言ってもらえると泣けちゃいますね。今ってパターンもすごく変化していて、昔と全く一緒の物ってあるようでないんですよ。だから、いろんな物を見ている若い世代が、新しい目で進化させて、未来を作っていくんだろうなと思います。
コジマ:挑戦という意味では、SNS運用や、様々なコラボレーションを通し、ブランドの新しい見せ方にも取り組んでいます。50年の歴史を知るファンだけでなく、新しいお客様との繋がりも大切にしながら、広い間口でブランドを見せていきたいですね。
ー次は90年代以降のお話を聞いていければと。MEN'S MELROSEのルックブックを見ると93年頃から雰囲気が変わったように見えます。
ウシジマ(パタンナー):武内さん(現ビギホールディングス取締役会長)と一緒にMEN'S MELROSEの再建をしてくれということで、92年に入社しました。参加後に評判が良くなり、より売れてきたので、有名カメラマンを使ってよりブランディングに力を入れていましたね。それまでのヨーロッパテイストから一気に方向転換したタイミングが良かったのだと思います。ジルサンダーなど、モードが注目されていた頃で、そういった時代感を落とし込んでいきました。
マツシマ(デザイナー):MEN'S MELROSEの中で特にTシャツがすごく売れていた時代に、30周年で30人のクリエイターとコラボする企画があったんですよね。イラストレーターのエドツワキのTシャツを作ることになったのが、nakEd bunchの始まりにも繋がっています。
ネダ(MD):当時はTシャツが1万枚ぐらい売れていましたね。
ーそして2000年にはセレクト、ヴィンテージも扱うmartiniqueが誕生。完売により一時閉店となるほどの人気だったとか。
ミズグチ(martinique バイヤー):ヴィンテージミックスのお店作りが当時新しかったと聞いています。その頃はシャネルジャケットにリーバイスが定番コーデだったそうです。現在のバイイングも、クラシックモダンでレディなテイストは染み付いていますね。
イワナガ(martinique プレス):私は2019年入社なのですが、martiniqueの買い付けが好きで、学生時代から通っていました。すごく丁寧な接客に感動して、自分が行っていたような若いお店とはレベルが違うなと。ここで販売をやりたいと思い入社しました。文化服装学院の先生にもおすすめの就職先と言われましたね。
ーこれまでの良い歴史を後世に繋いでいく為に、何が必要だと考えますか?
ウシジマ:寝ないで働けとか、人の3倍働けなんて、今じゃ言えないですが、そうやって仕事してきた人たちばっかりだったからね。寝ずに働けとは思わないけど、常に時代も移り変わっていくから、その分考えて動くことなんじゃないかな。
モチヅキ(生産):武内さんがメルローズの社長時代にはよく、“時代感を掴む”って言葉を使っていたと思います。言葉にすると簡単ですが実践するのは非常に難しいですよね。これまでのブランドの歴史も大事にしながら、これからの世代を表現できるように頑張ってもらいたいですね。
ーでは、ファッションという点において、今の時代感をどんな風に見ていますか?
ウシジマ:昔は良い物があるとその方向に人が集まっていったけど、僕らの頃と違ってファッションが今はすごく多様化している。だからこそ、なにが得意か、どこに向けていくか、何を選んでどう味付けするのかがシビアに求められる時代になっているよね。
イワナガ:特に若い子たちには、安い服を使い捨てでたくさん着るという流れも見えますが、MELROSEが同じように安い服をつくるのは違うのかなと思っています。基本の物作りはしっかり引き継いで、SNS発信やアプローチを若者に届くように工夫していきたいと考えています。
ネダ:確かに、もっと若い人が集まるような会社になったらいいなと思います。その為には、自分たちの伝えたいことを明確にする。そういうのが好きな若い子がきっと居るはず。僕はMEN'S MELROSEで就活のスーツを買ったのがこの会社を受けるきっかけになりました。自分がそうだったように、触れた時にちゃんとお客さんに何か伝わる状態のお店じゃないといけない。これからも、そういうブランド作りをしていきたいですね。
ー日々ものすごいスピードでたくさんのブランドやアイディアが生まれる現代でも、すぐに作ることができない物こそが“歴史”なのだと、皆さんのお話から強く感じました。
積み重ねたブランドヒストリーはメルローズの強みであり、財産です。歴史から受け継ぐものを守りつつ、新たな歴史を作る挑戦をスタートしたメルローズに今後も注目です。
TEXT:Shu Nissen
PINKHOUSE / 1988年 SPRING&SUMMER collection
MEN'S MELROSE / 1993年 AUTUMN&WINTER collection
MEN'S MELROSE / 1993年 AUTUMN&WINTER collection
TIARA / 2019年 AUTUMN&WINTER collection
martinique / 2020年 AUTUMN&WINTER collection