ありがとうを贈るギフト
【GUEST#06】
モデルShogoさん
- 贈り主:
- MEN’S MELROSE
- セレクトしたギフト:
- MEN’S MELROSE別注 「TAION」ブルゾン
MEN’S MELROSEからの
“ありがとう”のギフトは・・・
Shogoさんに取材したのは、MEN’S MELROSEの新シーズンのカタログ撮影を終えた直後。常に現場の空気を大切にするShogoさんの魅力は、モデルとしてのプロフェッショナルな精神に留まらず、農業やボランティア体験、農業から想起したブランド「KEIMEN(カイメン)」のプロジェクトなど、自身の情熱をまっすぐに向ける“豊かな人生経験”から生み出されています。贈り物をするなら、彼の人生から切り離せない「農業」に紐づくものを、と考えていました。
―今日は撮影と取材もありがとうございます。今日行わせていただいたメンズメルローズの撮影はいかがでしたか?
すごく楽しかったです。今日のフォトグラファーさんとヘアメイクさんも前に撮影でたびたび会っていたメンバーの方々なので、久しぶりにお仕事できて嬉しいです。
―そんないつもお世話になっているShogoさんに、野良仕事に役立ちそう!という理由で、ブランドチームからギフトに選ばせていただいたのは、「TAION別注ブルゾン」ですが、試着された感触はいかがですか?
ありがとうございます。農業をしていると、結局ベストが最適なんですね。袖までダウンが入っていると嵩張ってきて、作業をしている間に袖に土が付いたり引っかかったりして、少し動きづらいんです。これは袖の稼働がしやすそうだし、身頃のキルティングが暖かさを保って役立ってくれそうです。
モデルとして、服を魅せるために。
撮影で実践する被写体の在り方
―メンズメルローズを展開するメルローズが、50年を迎えました。そんな私たちのブランドと11年前の雑誌のタイアップ撮影を機会に、ブランドのLOOKやカタログのモデルを何度かお願いしていて、長いお付き合いですが、メンズメルローズのブランドにはどんな印象をお持ちですか?
38歳なので、メルローズさんとは26〜27歳ぐらいからのお付き合いになります。モデルを始める若い頃から、『メンズクラブ』などのファッション誌に載っている服を見てきました。メルローズはDCブランドという括りだったけど、モードというよりかは今でいうリアルクローズというか、日本のファッションが盛り上がっていた時代から続くブランドのひとつという印象があります。
―長い間、モデル業を営んでいらっしゃると思いますが、モデルという職業から見た、ファッションの魅力はどんなところだと感じますか?
もうかれこれ17〜18年の間、モデル業に携わっているんですが、僕がモデルを始める前、十代の頃に読んだファッション誌の広告ページか何かに、何のブランドかはわからないんですが、赤いダウンジャケットをモデルが着ている寄った写真が載っていて、それがすごくカッコよく感じて、そのダウンを洋服屋を渡り歩いて探したら、なんと見つけて、高かったんですがお年玉をはたいて手に入れたんですね。その時の高揚感と衝動のような感覚は、すごくよく覚えています。それが、僕がファッション業界の仕事に携わっている一番の根源にあるのかな、と今も思ったりしています。
モデルという職業を介すると、いろいろな幅の広い服を撮影で着続けてきているのと、今自分でブランドも手がけているので、この服を作った人はどんな思いで作られたのか? というようなことを、服をスタイリングしてもらって撮影するときに、自然と考えるようになりました。たとえば、この服はどの部分を写真で見せたいのか? というようなことも妄想して、撮影でその部分が見えるような動きをするようになったりもしているのかもしれません。
―撮影チーム側からすると、モデルさんがそんな思いと感覚で撮影に臨んでいただけるのは、とても素晴らしいことですね。
ボランティアで出会った「土」。
ファッションと農業、
好きが高じてKEIMENに
―Shogoさんは今、そんなファッションのプロモデルと並行して、農業を営んでいらっしゃるとお聞きしましたが、どんなきっかけから始められたんですか?
東日本大震災のボランティアに、震災の1ヶ月後から最初は毎週通っていて、それから月イチぐらいのペースでコロナの前まで定期的に訪れていました。その作業は、鹿と猿と人間しか住んでいない小さな島にある神社の復興でした。神社の前に、200メートルぐらいある表参道が崩れてしまっていたんですが、そこで、島に自生している芝をホームベースぐらいのサイズに切り取って、徐々に移植し続けたんですね。その作業は4〜5年続きました。その経験で、定期的に土に触れていたことと、もともと僕が田舎育ちのこともあって、普段の東京の生活でも土に触りたいなと、たびたび感じていました。
その頃に、モデル事務所を立ち上げたんですが、所属してもらったモデルの実家が八百屋さんで、ゆくゆくは店を継ぐという話を聞いたんです。そこで、僕が思ったのは、彼が東京にいる間に、生産者の気持ちを少しでも理解するために、畑をやるのはどう? って提案したら乗り気になって、横浜の貸し農園を彼とシェアして借りることになりました。その畑を2年ぐらい二人で耕したんですが、その彼が実家に帰ることになって、廃れてしまった畑を自分一人で切り盛りし始めたことで、本気で取り組んでみようと思い立って、農業学校に1年間通いました。それから農業がすごく楽しくなってきたんです。
その話を、聞きつけた知り合いの紹介で、山梨の道志村の人たちと一緒に野菜を作るという仕事をいただいたんです。それから道志村の人たちと出会って、今では1.5反ぐらい(約1,500平方メートル)の畑を持って、たまに野菜を卸している、という具合です。今まで登山とか釣りとかも趣味でハマってやってきましたけど、今は畑が一番楽しいですね。
―野菜づくり、非常に興味深いお話ですね。そこから転じて、ご自身で農着/野良着のブランド「KEIMEN(カイメン)」を主宰されていらっしゃいますが、どんな思いから始められたんですか?
畑で作業しながら、こういう作業着があったらいいな、とかよく想像していたんですが、当時はジャージとか、外で着なくなったボロボロの服を着て作業していたんですね。畑には、都内から電車で通っていたりもしていたので、機能があるけど、電車でそのまま帰れるような作業着があったらいいな、と思っていました。そんな折に友人に声をかけてもらって、KEIMENを始めることになりました。
ブランドを始める前は、白い軍手を使っていたんですが、汚れが気になりすぐ捨ててしまっていたので、KEIMENでは長く使えるように色付きのタフなものを作ってみたり、長靴の中にどうしても土が入ってきてしまうので、白い靴下が汚れた底の部分をトレースして、そこだけ黒い素材に切り替えて、なおかつ破けないように厚手の生地で靴下を作りました。靴下のスネの部分は、畑で元気になれるように、蛍光色で遊んでみたり。近所の農家さんたちも使ってくださって喜んでくれています。
服づくりの流れとしては、まずファーストサンプルを作ったら畑で着て、ある期間に実作業してみて、修正したい機能や縫製などのポイントを洗い出してからセカンドサンプルを作ることで、実体験で得た機能面を反映するようなプロセスを経てから服を生産しています。
―機能性と遊び心も取り入れた、メンズファッションの魅力の本質を突いたようなアイデアですね。電車で帰れる作業着、という発想も面白いです。
モデル、ファッション、農業。
これからも挑み続けたい
未来への可能性
―MEN’S MELROSEはキャンプグッズのコラボレーションも定期的に行っているのですが、もしKEIMENがメンズメルローズと何か協業するとしたら、何かイメージはありますか?
できるのであれば、昔のMEN’S MELROSEのアーカイブの服を掘らせてもらいたいですね。ブランド的にはニットの印象もあるので、80年代とかのアーカイブを見て、イメージを膨らましてみたいです。
―ぜひ何か一緒にできたらいいですね。では、のちの50年に向けて、これからのメンズファッションは、どんなふうに変わっていくと思いますか?
ファッションって、たとえばこれを着たらカッコイイとか綺麗とか、恥ずかしいとか、対ヒトの感情とか感覚において服を着ている部分がすごくあるじゃないですか。だから、もしも今の流れが続いて、その先にAIじゃなくて、人間がまだまだ服を作り続けているのであれば、やることはひと通りやってきているのかな、と思う部分があります。
ただ、時代によって変化は必ずあると思うし、時代のサイクルというか、リバイバルしながら進化していくと思います。たとえばモデルの話をすると、80年代から90年代後半ぐらいまでは、魅力的で個性の強いモデルさんが数多く活躍されていたと感じているんです。その人たちが築いた、皆が憧れる存在感のあるモデルのパーソナリティをもう一度、自分たちのモデル事務所で目指していけるように、所属するモデルひとりひとりが個性を活かしてもらえる支援を心がけています。
―ヒーロー性のある人物は、どのジャンルにおいても必要不可欠な存在ですよね。では、次の50年後に向けて、Shogoさんが考えるファッションや農業の可能性を、何か感じることはありますか?
農業に関しては、大規模の生産の状況は、大半は高齢化が著しい状況なので、AIや最新の技術が入っていかなければならない産業だと思います。あとは、僕が農業をやっている理由のひとつは、自分で野菜を作れる人がひとりでも増えてくれたらいいな、という思いが強くあります。僕も当初は全然作れなかったですが、作れるようになったら、すごく生きる自信がついたんです。万が一、何かあっても食べるものを作れるんだ! というような気持ちが芽生えました。
あとは、うちのモデルたちも海外のショーや撮影にたびたび赴くのですが、日本人のモデルが野菜を作れる人、みたいな感じになったらすごく面白いし、強みになるのかなと思います。もともとの日本人の持つ強さ、みたいな個性をもっと引き出せたら、海外でも個性を持って渡り歩いていけるのかな、と。
―非常に興味深いお話で、勉強になりました。いつも本当にありがとうございます。これからも、よろしくお願いします!